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スワンスタビログループの歴史

1855
創設。
1855年10月、ミュンヘンの有名な商人・Max Bullingerから、10グロス(1グロス=144本)の杉軸鉛筆と、数ダースのポケットペンシルの受注を受ける。
この大口の注文が、請求書帳書き残された、最も古い受注です。
その後、すぐに別の注文が続きました。

 

1860
ニュルンベルクの有名な城を背に、工場を建設。
スチームエンジンは、どの社員にとっても、誇りであり喜びの種です。
ひとたび動き出せば、大きな煙が上がりました。
1860年、GrossbergerとKurzは、この版画を彫らせました。

 

1865
当時25歳だった、従業員のGustav Adam SchwanhausserがGrossaberger & Kurz 鉛筆工場を買収。
工場は、これを意欲的に受け入れました。

 

1875
Schwanhausserは、数ある彼の功績の中でも、初の大きな仕事を成し遂げました。コピー鉛筆の製作です。
他社の模倣を防ぐために、黒、青、赤のコピー鉛筆の製作過程に対して、特許を取得しました。

この頃から、鉛筆工場は、ブランドロゴとして白鳥のモチーフを使うようになりました。
このシンボルを選んだ理由はもちろん、白鳥(Schwan)が、"Schwanhausser"の略だからです。

 

1880年代
現在残されている、最も古いチラシは、おそらく1880年代のものです。
Gustav Adam Schwanhausserは、多彩な色使いで、Grossaberger & Kurz 鉛筆工場の名を、世間に定着させました。

この当時、工場の従業員は50~200名。
フランケン中部の。6大鉛筆工場の一つとなっていました。
Schwanhausser製品の大半は、国外へ輸出されていました。

 

1884
ウィーンに最初の子会社を設立。
これにより、オーストリア、ハンガリーへの輸出時の関税を、なくす事を実現しました。
1910年には、ウィーンに梱包設備も作りました。

 

1904.1905
明るい新世紀の幕開け。
1904~1905年の会計年度には、195,000グロス(28,000,000本以上)の鉛筆を生産し、翌年には、219,000グロス、その翌年には、264,000グロスを生産するまでになった。

 

1906
世界一大きな鉛筆(長さ約100フィート)を、ニュルンベルクのBavarian State の展示会に出品。
市場に対して、当時の社歴の中で、最もインパクトのあるアピールをしました。

 

1909
この頃、Schwanhausser兄弟は、”メイクアップペンシル”を本格的に作ろうと計画していた。
製作日誌に、その記述が残されていました。
いわゆる"Dermatograph"(ダーマトグラフ)を含むラインを製作。
このダーマトグラフとは、肌に印を付けるための、医療用の鉛筆で、原材料にロウを含みます。
メイクアップペンシルが発売される以前、女性達はダーマトグラフを使用してアイブロウをしていたと言われています。
このような経緯で、アイブロウペンシルは”発見”されたのです。
1914年の第一次世界大戦の前に、メイクアップペンシルは少量生産で試作されていました。

 

1914
スワン鉛筆工場の事業は、文字通り花開き、製品生産数は、これまでの記録を塗り替えて行きました。
前年の250,000~300,000グロスの生産量に比べて、1913~1914年の会計年度には、合計で339,000グロスの鉛筆が生産されました。
しかしながら、この好調な流れは、突如絶たれました。
第一次世界大戦の開戦と共に、新しい出資の予定が、全て白紙となってしまったのです。

 

1925
STABILOの細字色鉛筆が発売。
大変細く、とても硬い芯で、ビロードのようなやわらかく繊細な線を描く画材です。
この当時の芸術家や建築家に大きく評価され、STABILOコレクションの典型となりました。

 

1927
Schwanは”絶対に折れない鉛筆”のスローガンで、自社鉛筆の広告を出した。
鉛筆産業協会での激論の末、このスローガンが決定された。

初のアイブロウペンシルをアメリカで発売。
1927年は、化粧品業界のビジネスに参入した、最初の年です。
しばらくの間、化粧品業界への進出は最小限に抑えていましたが、一方で、アイブロウペンシルのほかに、コール(アイシャドウ)、リップライナー、ネイルペンシルといった商品も求められました。

 

1929
STABILO色鉛筆のユニークなデザインは、アクシデントから生まれたようです。
鉛筆は通常、ペンキトンネルの中で白く下塗りされますが、完全には色が付きませんでした。
六角形の鉛筆の、色が薄くなっている角の部分は、地の色が見えていました。
しかし、これを失敗とは思わず、むしろオリジナリティがよりあるものと考え、ストライプ柄のユニークな柄のデザインが”発見”されました。
こうして1929年、STABILOのトレードマークは誕生しました。
スワン鉛筆工場は、この”ストライプ”に、特許を申請しました。

 

1935
12月、300,000本の鉛筆という大きなオーダーがMaggiコーポレーションから初めて入る。
Maggi社の社名入りの、”宣伝広告鉛筆”として、食料品店や、商店で配られました。広告事業のスタートです。

 

1939.1945
1939年、第二次世界大戦が勃発。
戦争の間、全ての輸出業は停止しました。
1945年の終戦ごろには、鉛筆工場は廃墟となっていました。

 

1945.1946
多くの従業員の手で工場は再建され、蘇りました。
化粧品の生産量も回復。当時の主要製品は"Lirola"です。
ブックマッチのような見た目の製品ですが、火薬の代わりに口紅が付いた、木製の”マッチ”です。
"Lilo and Lola only use Lirola"の広告コピーは、ドイツの伝説となりました。

 

1948
バイエルンのヴァイセンブルクに、新製品の工場を設立。
この工場で最初に作られたのは、鉛筆軸板で、1960年代からのインクペン製作の鍵となった。

 

1950年代
カーブオテロは、芸術家や、絵を描く趣味のある人に選ばれています。

50年代、広告事業として、鉛筆と、需要の高まっていたボールペンの両方に刻印入れを開始。
当時のスローガンは、50年以上が経過した今でも受け継がれています。
”スワン製品には、特別な何かがあります。あなたの仕事仲間の事を考えてみてください。
ペン達は、それよりももっと、あなたの事を考えてくれるでしょう”

 

1955
スワン鉛筆工場は、600人の従業員と、設立100周年を祝いました。

 

1961
この年、完璧な再建を果たしたニュルンベルクのMaxfeld通りの自社ビルは、注目の的となった。

 

1960年代
スワン社は、新製品の開発によって発展しました。
ボールペンから、現在もなお人気の高いフェルトペンやファイバーチップペンへ。
フランスやマレーシアなど、世界中に多数の支社を設立しました。

1960年代後半、大ヒット商品である2種類のフェルトペンが、スワン社より発売。
オーバーヘッドプロジェクターのプラスチックホイルにも書けるのが特徴の”OHPen”と、学習、娯楽のどちらにも使える、初の”塗る”ファイバーペン”Pen 68”です。

 

1970年代
化粧品事業の発展と拡大。
現在では、主要な化粧品ブランドの製品作りを支える、プライベートレーベルパートナーとなっている。
つまり、自社ブランド製品として生産するのではなく、化粧品ブランドのオーダーから、発展と生産をしていったのだ。

 

1971
1971年、ヴァイセンブルクに、鋳型注入式生産の工場を設立。
この工場では、革命的な新製品が作られました。
STABILO BOSS蛍光ペンです。
市場に初めて売り出された”reading pen”でした。
この革新的な蛍光インクのおかげで、簡単に文章を強調させる事が可能になりました。
今日までずっと、STABILO BOSSは、世界一の蛍光ペンであり、広告手段としても、人気があります。

 

1976
近代化が進む中、”スワン鉛筆工場”という伝統的な名前は、もはや事業とはそぐわないものになっていた。
メイクアップペンシルが、鉛筆工場で生産されているというのは、奇妙なものだった。
それに加えて、近代的なペン製品と鉛筆とは、似て非なるものでした。
1976年、有限会社からGmbH&co. KGに再編成したのを期に、社名をSchwan-STABILOと改めた。

 

1977
1977年のpoint 88の発売により、Schwan-STABILOは、手ごろでカラーバリエーション豊富なフェルトペンを、世に広めた。
オレンジに白のストライプ入りの柄が有名なこのペンは、金属製のソケットに極細のペン先が付いており、どんなシチュエーションでも書き易いペンです。

 

1978.1979
1970年代、Schwan-STABILOは、革新的なペンや、化粧道具による表立った功績を達成しました。
70年代前半には、新しい挑戦を次々と始め、この努力は、現在、実を結んでいます。
1975年、Schwan-STABILOは、約600人を雇用しました。
1978・79年の会計年度には、1000人以上の従業員を一度に雇用しました。

 

1970年代後半
広告事業が”広告特別事業部”と改名。

 

1980
Schwan-STABILOの125周年記念。
現在では、創設者から4代続いています。
この頃、1500人を世界中から新たに雇用しました。

発展と拡大を続けるSTABILO。
ニュンベルクの工場は拡大され、世界のより広い地域へと進出して行った。

 

1992
一方、化粧品事業は、他の製品の拡大の仕方とは、少し異なった道を歩んでいた。
Schwan-STABILO Cosmeticsが、化粧品業界でプライベートレーベルの会社としての地位を確立していく間に、STABILOは徐々に、筆記具のブランドとしての地位を確立していった。
この2つは完全に違った方面へ歩み、1992年、経営陣は2つの独立した部門とする事を決めました。

全ての木製品の工場を、チェコのそばに移転。
この場所で、STABILOの全ての鉛筆、色鉛筆が作られるようになった。

 

1995
最も古い、ニュルンベルクの本社の閉鎖。
そして、20km離れたヘロルツベルクへの移転。
新しい本社屋と最新の化粧品工場が、およそ6000万ドイツマルクの費用をかけて作られました。

 

1996
Schwanhausser Industrie Holding GmbH & Co.が、2つの主要部門の親会社として設立。
筆記具事業のSchwan-STABILOと、化粧品事業のSchwan-STABILO Cosmeticsです。
Schwan-STABILO Promotion Products は、Schwan-STABILOの子会社として設立された。

 

1998
ヴァイセンブルクにロジスティックスセンター(物資の大量輸送施設)が開業。
新しい物流センターは、全てのSTABILO筆記具を世界中に24時間以内に出荷する事を、可能にしました。

 

2000
Schwan-STABILOグループの最高総売上高を記録。
世界2600人以上の従業員で、一度に5億ドイツマルク以上の総売上高を達成した。

 

2001
チェコでの木製メイクペンシル製造の開始。
ヘロルツベルクの工場は、最新技術に基づいた、化粧品専門の工場として発展し、新しい製造ラインも増設された。

 

2003
徹底した調査と革新の結果、Schwan-STABILO Cosmeticsは、有効成分を配合した化粧品を世に広めた。
スキンケアラインは、装飾、保護、再生の製品の組み合わせにより、フェイシャルスキンケアを提供します。

 

2004
右利き用、左利き用のあるSTABILOの、いわゆるボール万年筆 STABILO 's move easy は、学生や教師の間で、センセーションを巻き起こした。
文字を書きやすく、学習の手助けとなるよう開発され、また、 's move easy は、その人間工学に基づいたデザインで、最高の評価を得ました。

すでに大きな成功を収めているスキンケアラインの総括として、メンズ用スキンケアラインと、スペシャルケア製品がリリースされる。